気が付いたら描くことよりも書くことが好きになっていた


気が付いたら描くことよりも書くことが好きになっていた。
その変化に絵心があるかないかなんて関係ないと思う。

表現することで、周りからいじられたり中傷されたり
色んな事があったけれど、書くことが好き。

きっと何かを表現することが好きなんだと思う。
大学時代もダンスサークルに入っていたくらいなので、
身体を動かすってことを重点に置いたときに選択肢として挙がるのは
ダンスだって思っている。ジャンルは関係なくね。

もし、いつか叶うのであれば作家になりたい。
ミステリー小説とか恋愛小説は書けないって思っている。
そんな小説よりは、自己啓発本みたいな
ちょっと人生においてヒントになるようなことを書く人になる。



言うだけなら自由でしょ?笑
興味がなくなったら、正直に言えばいい。
作家になれなくても、こうやって表現していくことを続ければいい。

有名になったことで、近づいてくる知り合いがいたら
いままでと変わらず避けていればいい。

私が安心して表現できる環境を作るのも私にしかできない。
できる範囲で無理のない範囲の人間関係を作るのも私の仕事だから。



なーんてことを、
ふと思い出したから書いています。

なんで思い出したのかは、
思い出せないんだけれども。笑



「書かなきゃ」って思ったから、
手の動くままに書いています。



おわり

当たり前だと感じることでも感謝をする




ふと、WOWOWで放送されていたB'zのライブを見ながら思った。



こうやって思ったことを発信したり、
食べたいって思うものを食べることができたり、
ベッドや布団で安心して眠ることができること。
その他にも、もっともっと挙げたらきりがない。

それって当たり前のようで当たり前じゃないことだと思う。

好きなアーティストを追っかけたり、
自分の夢のために何かを頑張ること。

毎日なんでもない日々なんだけれども、
何でもないように過ごしているけれど、
きっとそれって誰かが過ごしたかった幸せな時間なんだろう。



みんな自分にないものばかり求めてしまうけれど、
きっといま自分にあるものを書き出してみると
そのあるもので幸せを感じるのもいいと思う。

みんな頑張って毎日息をして生きている。
どんなに重い病気の人だって頑張って生きている。
どんなに苦しい環境にいる人だって生きている。

そんなに主張しないけれど、
誰もが頑張って毎日まいにち生きている。

そんな中、毎日おいしいご飯を食べて安心して生活できる。
それだけでも、きっと幸せなんだろう。


幸せのかたりは人それぞれだなんて、
26年生きている私でもなんとなく分かってきた。

そうはいっても、
普段何気なくボーってして過ごしてしまう日々の中にも
幸せってあるんじゃないかなって思った。

そういった当たり前だと感じることにも、
感謝をするって心を保つのに大切なんじゃないかと思った。

『無』になる時間って必要な気がする





『無』になる時間って必要な気がする。
もちろん、あれこれ考えずただボーって
している時間のことね。

あれこれ考えちゃうと、
自分がどうしたいかさえも忘れてしまう。

あれやらなきゃ、ああしなきゃっていう
『〜しなければいけない』ものばかり思い出して、
『〜やりたいなあ』っていうぼんやりしているけれど
心の欲求的なものを忘れてしまったり、
ただぼんやりとして悩みを解決するためのアイデアを出したり
目的は人それぞれなんだと思うのだけれども!!

リラックスする時間って必要だよね。
ボーってする時間って必要じゃない?

私だけなのかな。
余白とか余裕とか精神的にゆとりがあるのが好きなのは。
ジタバタもがいて頑張るのも大切なんだろうけどね。

きっと昔からの反動なんだろう。
頑張っても、頑張ってもダメだった。
理想を押し付けられて、価値観も否定されて
虐待と言ってもいいようなことをしてきたのに、
孫が生まれたら態度が変わる。

もっともっと楽になりたい。
精神的にゆとりがある暮らしが欲しい!!
精神的にゆとりがある暮らしを手に入れる!

(`・ω・´)

力を抜いてボーってする時間って大切だと思うよ。
って、最後に言って終わります。

マイナスの感情も認めることが大切


昨日、あんな記事を更新するほど落ち込んでいたんだと思う。
今朝もさらっと呟いたけれど、日記に6ページくらい
自分が溜めこんでいたマイナスな感情を吐き出して
さらに旦那にもぶつぶつ頭の整理をするように話しかけたりして
なんとか復活したのです。

まあ、日記と書いたけれど厳密にはバレットジャーナルの
デイリーログなんだけど、そんなことはどうでもいいか。

昨日書いてみてわかったことは、
「とにかく不安だし、怖かった」ってことでした。

たぶん、目に見えない恐怖と不安だと思う。
災害とか特に怖いもん。

「私が生きている間は大きな災害に遭わない」
とお守りの代わりになると思って呟いているくらい。



でもね、「怖い・不安」って感情って
溜め込めば溜め込むほどよくない方向に進むと思うし
身体的にも影響を与えるので可能なことなら
そういったマイナス思考なときに生まれる感情ほど
「私はいまこう感じているんだ」っていう事実を肯定するのも
なんだかんだ言って大切なんだなって思いました。

こう見えて心理学専攻していた私が言うのも変なんですけどね。



日記なんだけれど、ペンでぐちゃぐちゃにしてもいい。
訳も分からない不安があってもいい。



生きていればいろんなことがあるんだもん。
自分の感情は嘘つかないし、認めたっていいじゃん。
マイナス思考のネガティブ野郎でもいいじゃないか。
、、、、言い方がひどいと思うけどいいか。


私なんてマイナス思考のネガティブ野郎だけど、
心理学の授業で資料映像を見ていても
何か思い出して怖くなって授業中に抜け出すほど
メンタル弱いんだから!!!笑


そんな私でもなんだかんだ生きている。
ネガティブ野郎でもいいって思って生きている。
だから、だいじょうぶだいじょうぶ。

なーんて思いました。

訳もなく不安だし寂しい




最近、訳もなく不安だし寂しい。

なんとなく理由はわかってる。
今後来ると言われている大地震に対して、
不安に感じている。

その不安を理解しない旦那に寂しさを感じている。

幸いにも、海抜はそれなりに高いし避難所も
すぐそこだから逃げることはできる。

しかし、何も用意をしていない。
『そんなものなんていらない』
『非常持出袋はあるよ』
なーんて言うけれど、見当たらない。

言っておけば安心すると思っているのか、
それとも職場にいれば安心だしって思っているのか、
それは本人にしかわからない。

東日本大震災のときは、
私は関東に住んでいたので買占めがあった。

計画停電は海岸沿いの市町村だったので、
無かったけれど大学の入学式は自粛ってことで無しになった。



そういうことを経験してないからかな。
理解も備えもしない。

備えたから安心って訳じゃないのはわかってる。
しかし、そうは言っても小さい子どもがいると
身の安全ってすごく大切だと感じる。

耐震対策にも無関心だから、
本当にどうでもいいのかもしれないな。



それはそれでもう一度話し合わなきゃいけない。

思い出した時に、
『私は大災害に遭わない』と安定剤のように
唱えているけど効果があるといいな。



なーんて思うこの頃。

甘いものって幸せになるよね




甘いものを食べたら、

幸せだなあって思う。



あんまりたくさん食べるも、

身体に良くないんだけどね。笑







こういう些細な幸せでも、

幸せだと感じることができるのが

幸せなことなんじゃないかと思ったりもする。





幸せの大きさなんて測れないもんなあ。